夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華はどこから来たのか
「人形町大勝軒」にみる戦前からの流れ(2)

昼の休憩時間を始めたのは大勝軒だった!?

第二次大戦の空襲で東京は焼け野原になった。人形町も例外ではなく、大勝軒各店も一からやり直すことになり、本店は元の場所から近いところに建て直された。

創業以来、高すぎず安すぎず、ほどほどの値段設定でやってきた大勝軒だったが、悠長なことはやっていられない。時代の要請は安くてうまくて満腹になれるもの。戦後の混乱期を経て、ラーメンを主力とする新たな中華のジャンルが芽生え、台頭する中に、大勝軒のような戦前から営業していた中堅どころの店も、時代の荒波に呑み込まれるように加わっていったのだと思う。

この次代を担ったのが3代目喜平次と、終戦時には20歳になったばかりの4代目武文だった。一日も早い復興を願い、みんなががむしゃらに働いた時代。人形町も次第に戦前の賑わいを取り戻していく。そして1958年、千恵子さんが4代目と結婚。

「私はこの近くの会社でOLしてたんですよ。経理の仕事。だから最初は客としてきてたの。縁あって一緒になることになったんだけど、お義母さんが『あなたは何もしなくていいから』って。でも、そんなわけないわよねぇ」

大理石のテーブルが置かれていた当時の店内

景気は絶好調で店は夜11時まで客が絶えない。女性は厨房に入れなかったが、仕事は山ほどあった。どれくらい忙しいかというと、まかないの食事を作る時間がないほどだという。ではどうするか。大きな鍋を持って他の店に行き、カレーのソースだけを買ってきてご飯にかけて食べるのだ。大勝軒だけではなく、老舗の繁盛店は同じような状態だったから、お互い様で融通を利かせ合った。

「毎日があっという間。夢中で働いていましたね。だって、シュウマイだけで一日に千個作っていたから」
シュウマイは開業以来の人気メニュー。朝の仕込みで千個分の具(ひき肉とタマネギ)と皮を用意し、それっとばかりに包み始めるのだが、開店が近づくと従業員はそれぞれの持場に去り、千恵子さんとお義母さんしか作り手がいなくなる。宴会がある日は2千個包むこともあったそうだ。だから、戦後になって餃子が流行り始めても大勝軒ではメニューに加えなかった。

ほとんどの町中華には餃子があるが、シュウマイは置いていないところが多い。両方をやれば手がかかるし、高度成長期以降に開業した店では、シュウマイより餃子が看板メニューになりやすかったのだろう。1958年生まれの僕も、幼いころから餃子派で、シュウマイに執着したことがなかった。食べる機会はちゃんとした中国料理店に行くときくらいで、母の手作りシュウマイを食べた記憶がない。

しかし、餃子隆盛のいまだからこそ、シュウマイを手作りしている店は歴史ある店だったり、主人が本格中華で修行していたり、あるいはシュウマイが有名な店で働いていた可能性が高い。大事にしなければ。

「その頃の人形町は、寄席があって芝居小屋があって、ダンスホールに映画街。それは賑やかでしたよ。花柳界でもあったから、表を歩けば長唄に三味線の音がする。芸者さんの出前は美容院なんです。だから汁物は厳禁で、チャーハンとか焼きそばだったわね」

人気メニューをいくつか挙げて欲しいと頼むと、焼きそば、チャーハン、酢豚、五目そば、鶏そば、中華弁当あたりかなと答えが返ってきた。この時代にはかなり大衆的な店になっていることがわかる。客層は、平日がサラリーマン、週末になると家族連れ。年末年始は宴会だらけだった。休む間がないのである。

「あまりにも忙しいので、それまでは通し営業だったんですけど、昼の休憩時間を作らせてもらったんです。人形町で昼の休みを始めたのは私だと思う」
どうぞ休んでくださいよといいたくなる勤勉さだが、注目したいのは、中華以外のメニューがないことだ。かつ丼、カレーライス、オムライスといった、戦後にできた店が積極的に取り入れてきたメニューには目もくれないところに老舗の意地と誇りを感じる。

今も楽しめる林さんの味

のれん分け店は次第に増えて、日本橋界隈だけではなく江戸川区や豊島区、台東区などにも大勝軒が広がった。その数、1960~1970年代の全盛期には17店舗にも及び、毎年2月には本店で店主会が催されていたほどだった。それが1980年(昭和55年)には11店舗に減少。現在は4店舗を残すのみになってしまったのは寂しいけれど、ていねいな仕込みと料理で地元の人々の胃袋を満足させる大勝軒らしさは健在だ。

正統派の支那料理店としてスタートし、本場の味を日本人向きにアレンジしながら客層を広げ、自家製にこだわり、味の継承をしっかりと行った上でのれん分けする。独立した料理人たちは、カラダで覚えた味をもとに、客層や時代の流れに合わせて独自の工夫を加えて完成させていく。パッと見たところ、普通の店と見分けがつかないが、町並みに溶け込んでこそ町中華。それができたからこそ、大勝軒はいまでも町中華好きに一目置かれる存在なのだ。

珈琲 大勝軒の店内にあるかつて大勝軒本店にあったステンドグラス


数日後、駅で電車を待っていたら千恵子さんから電話がかかってきた。
「明日、シュウマイを作るんですけど、よかったら食べにいらっしゃらない?」
月に一度、かつての常連客に頼まれて500個作るのだそうだ。

「行きます!」
即答し、翌日飛んでいった。玄関先で出来たてを折り詰めにしたのをいただき、特急あずさに揺られて自宅のある松本市に帰った。家族は大喜びである。シュウマイにはそういう”ごちそう力”があるのだ。

店をやっていた頃と違って皮は市販のものを使っているけど、熟達の技でみるみる包んだに違いない小ぶりなシュウマイ。口に入れると肉汁があふれてくる。

これはもう、大正と平成を1本の線でつなぐ100年分のおいしさだ。この味は千恵子さんだけのものじゃない。林さんのシュウマイもこんな大きさ、こんな味だったはず。食べたことないけど絶対そうだと思う。

珈琲 大勝軒
おいしい珈琲で界隈のサラリーマンや住人がほっと一息いれる場所

珈琲 大勝軒 東京都中央区日本橋人形町2-22-4
TEL 03-3668-8600
営業時間 11:00~15:00(土日祝休み)

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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