夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華はどこから来たのか
町中華の味を決定づけた“化調”の流行(1)

町中華の後でコーヒーが飲みたくなる理由

僕が隊長を務める町中華探検隊は、月に何度か平日の昼間から集まって、その地域の町中華店を探索し、ブログなどに記録を残す活動をしている。集合場所が四ツ谷なら「四ツ谷アタック」などと称し、朝食を抜いたりして準備を整え駆けつけるのだ。

活動と書くと本格的な調査のように思われそうだが、それぞれ気になる店で食事をするだけのこと。これといったルールはない。でも、結成当初から続いている習慣がひとつだけある。食べた後で喫茶店に集合し、“油流し”をするのである。

喫茶店で“油流し”をする著者(左)と町中華隊隊員


なぜ喫茶店なのか。少し長くなるが説明させて欲しい。

強い味と言えばいいだろうか、町中華の料理は味が濃くてしょっぱいのが相場だ。客は安くて腹一杯になれるパワフルな食事を求めている。塩分など気にしていたら、あのガツンとくる食べごたえは維持できない。

「食に強さが求められる時代じゃないのだから、塩分控えめの優しい味付けに変えたらいいのに。いつまでも昔のままだから町中華は衰退したのだ」

そのように考える人がいるとしたら、その人は町中華に馴染みの薄い人だと思う。一貫して学生や独身サラリーマン、汗水流して働く労働者をメインの客層としてきた町中華では、彼らを満足させる強い味が必要とされてきた。最近でこそメディアで取り上げられる機会が増え、女性の間でも町中華という言葉が使われるようになってきたけれど、店へ行けば、そこで食べているのは圧倒的に男たちなのだ。客層が被ると思われる牛丼の味は優しくなったか。低価格カレーチェーンの味はマイルド路線を選んだか。そんなことはないだろう。

男たちを納得させるのは、やけにパンチの効いた味。これは時代を超えた真実だと僕は思っている。願望ではない。食べ歩いてわかったことだが、年々数を減らしている理由は店主の高齢化などで、町中華店そのものは安定した人気があるのだ。ニーズを無視して優しい味に変えたら、コアな客が離れ、それこそ一気に衰退へと向かうに違いない。

強い料理が運ばれてくると、待ってましたと腹ペコ男は喜び、食べる速度が早くなる。食の細い僕も、町中華へ行くとスピードアップ。調査のためという大義名分もあって、ラーメン専門店なら残すであろうスープを飲み干したりもする。

完全に油と塩分の過剰摂取状態だ。当然水はおかわりするが、店を出た途端、口の中ベトベト、喉カラカラな自分に気づく。食べている間はおいしかったから胃袋は満足している。それなのに、口の中だけが不快感を訴えてくるのだ。

探検のたびにこんな状態になったのでは活動に支障をきたすのではないか。何か手を打たねば。それが“油流し”の始まりだった。僕の場合、飲み物はブラックコーヒーが効果的なようで、甘いドリンクだと油は流せてもしょっぱさが……それはどうでもいい。カンジンなことは“油流し”が新たな発見をもたらした点。町中華を食べた後に、ベタベタ、しょっぱさに続く、第三の違和感が存在するのである。

舌のビリビリだ。

しかもこれ、店ごとに強度が違う。かすかにピリピリするライト級はそれほど気にならず、コーヒーを飲まなくても大丈夫だ。やや強めのピリピリもコーヒー1杯で消し去ることができる。が、時間の経過とともにピリピリからビリビリへとエスカレートするヘビー級なら、コーヒーのおかわりが必要。難敵の場合は舌のシビレが取れるまで2時間程度を要することもある。そうかと思えば、まったくビリビリしない店もあるが、その店が油と塩分控えめというわけでもない。

違和感の正体は察しがついた。昭和の半ばに生まれた僕は、これまで何度も同じ経験をしていたからだ。ピリピリかビリビリかは、化学調味料(以下、化調と表記)の量に比例しているのだろう。

化調が使われていることは、町中華なんだからあたり前だろうと思った。舌のシビレについても、原因は化調ではなく、過剰に使いすぎる店側にある。同じ店でも、行く日によって使用料がまちまちで、ピリピリ度合いが違ったりするのだ。

でも、勢い余って(?)化調を過剰に使ってしまう大雑把さに愛嬌があるというか、町中華らしいユルさを感じてしまうのだ。化調キツめかどうかが店の傾向を知るバロメーター。探検隊メンバーにもグングン人気が出てきたもんなあ。
「分量間違えたのかな、舌がめっちゃシビレてますよ!」
失敗自慢というか、化調キツめの店に当たると嬉しそうなのだ。

でも、そのうち疑問が湧いてきた。

[疑問1]
 他のジャンルと比較して、町中華はあまりにも露骨に化調を使ってはいないだろうか。
[疑問2]
 いつ、どのタイミングで化調を投入するのだろうか。
[疑問3]
 化調とはそもそも何なのか。

子供の頃から化調たっぷりなインスタントラーメンやカップ麺の世話になってきたのに、食べるばかりでまったく考えてこなかったことが一目瞭然な、素朴な疑問ばかりだ。これまではそれで良かった。でも、町中華について調べるなら、化調の存在は無視できない。
おそらく必須アイテムと言ってもいいのではないか。

ブームの影に“化調”あり

歴史や成分については後述するとして、まず考えたいのは化調が果たしてきた役割だ。

町中華は昭和20年代後半から30年代前半に店舗を増やし、ひとつのジャンルとしてまとまっていった外食の新興勢力だった。広々とした店で営業できたところは少なかったと思われるが、麺類も飯類も作るとなると厨房はそれなりのスペースを要する。そこで、注文を受けてすぐ作り始められ、少ないスタッフでも店を回しやすいことから、客席と厨房に境目のない、オープンキッチンの店舗設計が増えていったと考えられる。

劇場型の店で、客は調理パフォーマンスをちらちら見ながら料理ができるのを待つ。野菜を切っている、肉を炒めている、麺を茹でている。お、盛り付けに入ったぞ。あれは自分の注文した餃子だろうか。違った、先客のだ。次かな。おいおい、茹で時間長過ぎないか。麺が伸びちゃうぞ。ダメだろ、厨房で一服してちゃ……。店主の一挙一動が丸わかりなのだ。

うま味調理料である化調を使うのは、ていねいに出汁を取っている店からすれば、言葉は悪いが手抜き。客に見られてカッコいいものではない。でも丸見えだから隠せないし、味にコクが出るから使いたい。

では、カッコつけても始まらないから、見えるのを承知で手元に置き、料理にパッと投入するようになったのか。僕は違うと思う。<[疑問1]他のジャンルと比較して、町中華はあまりにも露骨に化調を使ってはいないだろうか>の答えはたぶん、化調を使うことが客に許され、見られてもいい、いや積極的に見せつけるくらいの勢いで使われた時期があったせいだと思うのだ。

昭和中期生まれの方は、昭和30年代~40年代の食卓風景を思い出して欲しい。テーブルの調味料入れには、醤油や食卓塩と並んで、化調の代名詞だった「味の素」が置かれていなかっただろうか。きゅうりの浅漬けの上に、白い粉がふりかけられていなかっただろうか。

僕の家ではそうだった。僕や妹はそれがどういう意図で使われているかなど考えもせず、親の真似をして適宜ふりかけていたものだ。

化調を使えば、自宅でも旨みたっぷりな料理が作れる。前回触れたキッチンカーが走った頃から、主婦たちは和食一辺倒だった食卓に洋食や中華を取り入れていった。そこで大評判を取った味の素は、自然な形で家庭に浸透し、その味を覚えるのに時間はかからなかった。

庶民的な中華食堂である町中華は、我が家の台所の延長みたいな場所。求められるのは特別な味ではなく、舌に馴染んだ味だ。僕はその当時、化調を使う店主に「手を抜くな」と文句をつける客などいなかったのではないかと思う。料理がおいしく仕上がる。油ギトギト、塩分たっぷりな料理をさらにパワーアップさせる。化調は最先端の調味料だったから、むしろ好意的に投入パフォーマンスを見ていたのではないかと想像するのだ。

化調には、町中華の発展をうながした重要な側面もある。便利な調味料の出現で、さほど料理の経験がなくても、それなりの味を提供できるようになった。それが町中華の将来に与えた影響は計り知れないほど大きい。

昭和20年代後半にジャンル形成した町中華は、昭和39年に開催された東京オリンピック前後にはさらに数を増やす。既存の店で10年ほど修行した人たちが独立したケースが多いとみられるが、町中華は儲かると考えて新規参入した人もそれなりにいた。それでもなんとかなった理由のひとつが、味の決め手として使える化調の存在だったのだろう。

ブームに乗って参入した全国各地の町中華が、こぞって化調を使う。化調好きな客もそれを受け入れる。増えたといっても、まだ飽和状態には至らず、共存共栄が可能だった時代の話だ。個性的な店主はあまたいただろうが、個性的な味がいまほど求められていたわけじゃないし、そこまでの腕もない。するとどうなるか。味が似てくるだろう。化調で味を整えた料理が町中華のスタンダードになっていくのだ。

全国チェーンなどなく、せいぜい小規模なのれん分けグループがレシピを共有していた当時、情報の伝達スピードが遅かったにもかかわらず、町中華ってだいたいこんな味だよね、というイメージの共有が進んだのは、化調があったからこそと言えるのではないだろうか。

化調投入に見る厨房の様式美

< [疑問2]いつ、どのタイミングで化調を投入するのだろうか>に話を移そう。昔も今もさほど変わらないと思うので、僕の観察に基づいて手順を記すと、入れるタイミングは完成間近と決まっている。

炒飯ならば飯と具材を炒めた後、塩や醤油ダレで味付けするとき一緒に中華鍋に投入。だいたいはアルミの器かプラスティックの箱に入っていて、専用スプーンを使うことが多い。慎重に分量を確認してから入れる人、スピード重視でサッと放り込む人に分かれるのは性格の違いなのだろう。

調理場に並ぶ調味料たち。


僕が好きなのは、一気呵成に味を固めにかかる後者のタイプ。こういう店主は調理全般に手際が良くて、野菜の刻み方から鍋の振り方、麺が茹で上がる前の準備まで、自分のやり方にこだわりを持っている。しかも、長年に渡って客の視線を浴びてきたためか、鍋を振る後ろ姿まで絵になる。まるでライブに命をかけるミュージシャンだ。

戦後に花開いた町中華が、必然性はどこにもないにもかかわらず、結果的に育んでしまった様式美。鮮やかで無駄のない店主の動きは、その歴史が集約されたものだ。一連の動作はセットになっており、流れるように行われるため、ぼんやり眺めているだけでは何が起きたかわからなくなってしまう。リズムを取るように鍋を叩いてみたり、作業と作業の隙間に布巾でその辺をササッと拭いてみたり、一時もじっとしていないのだ。

僕が見た中での最速記録は、神保町にある『伊峡』。瞬時に二度、プラケースから小さじで掻き出すのだが、その瞬間を見る目的で目の前に陣取っているのに手の動きを追いきれなかった。日々の鍛錬が職人芸に磨きをかけたのだ。あれには震えたなあ……、ギタリストの速弾きかよ!

速すぎて、右手のスプーン、写りません。
(※『伊峡』ではありません)


町中華の調理パフォーマンスでは鮮やかな鍋振り、リズミカルな麺類の具材乗せが評価の対象になりがちだ。でも、僕はマッハの化調ぶっこみも高く評価したいと思っている。同じ店で同じものを食べても日によってビリビリ度合いが違うのは、すべてが目分量で行われるから。当たりハズレのあるスリルもまた、町中華の楽しさだ。

ということで、今回は紙幅が尽きた。次回は残った<[疑問3]化調とはそもそも何なのか>を解明すべく、味の素の歴史を振り返ってみよう。


*現在では「うま味調味料」が一般的だが、ここでは昭和の呼称で、町中華探検隊でもそう呼んでいる「化学調味料」と記した。

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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