夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華の黄金期~
ワリバシは踊り、鍋は炎に包まれた
出前のバイクが町を走る(1)

出前は町中華の花形だった

町中華を語るために出前のことは欠かせない。僕も忙しくて外に食べに行く時間も惜しいとき、よく世話になったからだ。でも、ふと思う。出前って、すでに死語に近い“昭和語”なのではないだろうか。電話1本で家に食事が届けられる便利なシステム、いまは宅配やデリバリーという呼び方のほうが一般的になっている。

そんな呼び名を定着させたのは、おそらく宅配ピザだ。その元祖はアメリカ企業のドミノ・ピザ。1985年に(株)ドミノ・ピザジャパンが創業し、新しい出前文化を持ち込んだ。専用のバイクで配達されるピザは梱包材までカッコ良く見え、すぐさま人気となった。日本企業では1987年に1号店をオープンしたピザーラが後を追い、派手な宣伝もあって、若者たちに浸透してゆく。出前という言葉を使用しなかったのは、日本の伝統的な自宅お届けシステムとの差別化を図るためだったかもしれない。作戦はまんまと当たり、寿司から和食まで、飲食するスペースを持たず、配達専門で商売する業者がつぎつぎに登場していった。

僕はこの宅配・デリバリー旋風が、順調に成長してきた町中華が曲がり角に差し掛かるきっかけのひとつになったと思う。景気は好調、バブル期に向かってイケイケになっていく時期だったから、すぐに大きな影響が出たわけではなかっただろう。相手は割高な上に濃厚なチーズたっぷりのピザ専門店。ホームパーティー用やおやつ代わりにはなっても、食事として定着はしないだろうと見なされたフシもある。

当時はもっと警戒すべき相手もいた。1976年に創業された「ほっかほっか亭」を筆頭とする持ち帰り弁当店である。安い値段でできたてを食べられるだけじゃなく、自分で弁当を作る手間が省ける便利さに、町中華が取りこぼしていたOL層が飛びついた。つられるようにサラリーマンたちも行列を作る。1980年代には他のチェーン店も出店数を増やし、出前を脅かす存在へとのし上がっていたのだ。

若者層や家庭をターゲットに、オシャレ感を加えた宅配ピザ。家庭の味を演出し、働く人たちの朝の時間節約を手助けした持ち帰り弁当。これらがいかに優れた商品だったかは、その後の定着ぶりを見ればよくわかる。

このように、1980年代は町中華やそば屋に代表される出前と、気軽に持ち帰れる弁当、ピザ屋に代表される新興勢力の宅配・デリバリーが激突する時代の幕開けでもあった。最大の違いは、店で食事を提供しながら家へも届ける出前に対し、弁当やピザは配達か店頭販売専門だったことだ。そのぶん、商品づくりと販売に仕事を特化できた。しかし、出前は店の客+電話で注文してくる客に対応しなければならない。だから、小規模な店であっても専用のスタッフを雇って出前に力を入れることが珍しくなかったし、それだけの需要があった。出前をがんばれば、客席数の少ない店でも売り上げが増やせる。町中華のような個人営業店にとって、出前は大切な、いわば外貨獲得手段。昼時ともなれば、出前のバイクが通りを走り回っていたものだ。

自転車でがんばっている店もある


運転技術や体力を必要とする出前スタッフは、アルバイト店員が適当にこなせる仕事ではない。ライバル店との競争に勝ち抜いてお得意様を増やすため、なるべく早く、正確に届け、食器の回収まで行うスペシャリストだった。あのころ、出前の人がいつもテキパキしていたのは、つぎの注文をこなすため、急いで店に戻らなければならなかったからなのだ。

昼はオフィス、夜は麻雀荘でフル稼働

出前で稼いでいたのは喫茶店も同じだった。コーヒーチェーンが登場する前は、脱サラして開業する店も多く、駅前には必ずと言っていいほど個人営業の喫茶店があったが、こういう店も出前で大いに利益を上げていた。

1970年代の終わり頃、学生時代に僕がアルバイトした飯田橋の喫茶店は、コーヒー1杯200円。当時としても安い値段だったが、明らかに儲かっていた。朝8時の開店と同時に、スーツ姿のサラリーマンがやってきてモーニングセット(厚切りトーストとミニサラダ、卵付きで250円)を食べる。昼になるとコーヒー付きのランチセット(500円以下)を求めて客がひしめき合う。それに加え、午前中や午後イチあたりにコーヒーの出前が入ってくる。オフィスで飲むコーヒーはインスタントが普通だった頃、本格的なコーヒーを飲めるのは喫茶店だったからだ。来客用が多かったが、月曜の朝など会議用に大量のオーダーが来ることもあり、僕が働いていた9時から14時までの間に、平均50杯は出前したのではないだろうか。徒歩で届けるため、範囲はせいぜい店から100メートル程度。それで5時間の売り上げが1万円。僕の時給は500円だったから、出前の利益だけで十分にバイト代が払えていたことになる。

町中華店主に出前の全盛期はいつだったか尋ねると、1980年代後半から1990年代前半のバブル期で答えが一致する。サラリーマンたちは猛烈に忙しく、ゆっくり外食する時間がなかったため、昼食を出前で済ませることが多かったらしい。

夜は夜で注文がひっきりなし。どこからか。麻雀荘である。出前は配達だけではなく食器の回収にも手間がかかるけれど、まとめて注文が入るのが利点。オフィス街にある客席数30ほどの標準的な店でも、出前だけで店が成り立つくらい儲かったという。4人で麻雀卓を囲む客は、出前も同時に頼みがちだ。隣の卓で食べているのを見ると、他の客も釣られて食べたくなる。しかも、夕食時だけでなく、夜食タイムの需要も多いため、注文が途切れにくい。

具体的に言うと、店に客がこなくてガランとしているのに、深夜まで厨房がフル稼働している状態だったそうだ。シンクに洗い物がたまり、閉店後も遅くまで働いていたため、睡眠不足が日常化していたという。そうか、あのころ、客がいないのにつぶれないので不思議に思った店がいくつもあったが、きっと出前でがっぽり稼いでいたのだ。

頼む側にとっても、出前は便利な食事方法だった。値段が少々割増になる程度で、特別な配達料も必要ない。寿司やうなぎといったごちそうでも、ざるそばやラーメンなどの日常食でも、電話1本で家まで届けてもらえる。雨の日など、小さな会社がひしめき合うような街では、食べ終えた食器が入口の前にうず高く積まれていた。

「正来軒」の役割分担出前術

バブルが弾けて不景気になると、個人経営の店は経営が苦しくなり、次第に外食チェーンに主役の座を奪われてゆく。まず喫茶店の数が急速に減った。町中華にも変化が押し寄せる。柱のひとつだったはずの出前をやめる店が出てきたのだ。ピザを筆頭に宅配は相変わらず人気が高い。弁当屋も低価格路線で存在感を強めている。

さらに、それらを上回る勢いで生活に浸透してきたコンビニによる打撃も大きい。買いに行って戻るまで5分とかからず、まずまずの味。出前より断然早くて便利な“怪物”だ。

店主も年を取ってきたし、今後は家族経営でやっていくのがいいんじゃないか。人件費を減らすためにも、出前から撤退しようとなるのも無理のない話である。

一斉にそうなったというより、1990年代半ば以降、だんだん減っていったのだと思う。 サラリーマンの食事の選択肢から出前がなくなり、麻雀ブームも今は昔。思い起こすと、僕自身、この時期あたりから出前を取る機会がめっきり減り、たまに頼む際はピザになってしまった。町中華に飽きたとか、出前だと麺が伸びるとか、食器の返却が面倒だから避けたわけではなく、なんとなくそうなったのだ。そして、気がついたときには、あれほど走り回っていた出前バイクが、町から姿を消しかけていた。

現在、出前をやっている町中華の割合はどれほどだろう。店の前にバイクがあると、それだけで嬉しくなるほどだから、せいぜい10軒に1軒くらいだろうか。専用スタッフがいる店はほぼ絶滅。家族経営をしながら、近所のお得意さんを中心にやっているところばかりだ。使わなくなった岡持ちが、所在なげに店の片隅に積まれているところもよく見かける。

だからこそ、いまどき元気に出前をしている町中華は貴重で、見つけるとなるべく入るよう心がけている。なかでもグッときたのが、品川区武蔵小山にある「正来軒」である。カウンター7~8席の小さな店で、店主と女将さんがふたりで切り盛りするこの店では、他ではなかなか見ることのできない、独自の出前システムを採用しているのだ。まぁ、そんなに複雑なものじゃないんだけど、ふたりともバイクが運転できるので、誰が出前担当という区別がないのである。

正来軒の外観。町中華ファン心をくすぐるのれんとメニュー。


店主が出かけている間に注文が入ったらどうする? 心配ない。女将さんも店主並みに鍋が振れ、全オーダーを作ることができるからだ。でも、「正来軒」の凄さはそこじゃない。というのも重い中華鍋を軽々と操ることのできる女将さんに遭遇する確率はけっこう高いのである。メインで厨房に立つのは店主だとしても、サポート役として野菜を切ったり仕込みを手伝うのは当然で、その気になれば調理もできてしまう。亡くなった店主の後を、女将さんが継いでいる繁盛店もあるくらいで、町中華探検隊ではそういう店を“未亡人中華”と呼んでリスペクトしているのだ。

だから、ご主人が出前に行っている間に、「正来軒」の女将さんが鍋を振っていることへの驚きはなかったのだが……。店に電話がかかってきたのである。出前が入ったのだ。慣れた感じで注文を聞いてメモを取る女将さんの口調から、常連客だと察しがつく。

そのオーダーを作り始めたところへ、タイミング良く店主が帰ってきた。問題はここからだ。女将さん、マイペースで料理を作ると、さっとヘルメットをかぶって出ていってしまったのだ。そうか、この店はふたりとも出前をこなすのだなと思っているところへまた電話。出前を受けた店主が料理を作っていると、女将さんが戻ってきて素早くエプロンを付ける。と、今度は盛り付けを終えた店主が使い込まれたヘルメットをかぶって、無言で出て行くではないか。

それで理解できた。ここでは注文を受けたほうが調理と出前を担当する自己責任システムを採用しているのだ。だから、どこの誰から何の注文が入ったと報告しなくても困らない。これはすごい。夫婦だけでやっている店だから実現できた究極のコンビネーションである。でも、どうしてそこまでして出前をするのだろう。店主に尋ねると、近距離の客だけやっているとのことだった。

「昔はこんなもんじゃなかったけど、ウチを贔屓にしてもらえるのは嬉しいじゃない。手が足りないから長年のなじみ客限定にさせてもらってますが、売り上げ的にも助かってますよ」

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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