夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華の黄金期~
ワリバシは踊り、鍋は炎に包まれた
出前のバイクが町を走る(2)

そば屋の出前はプロの職業

注文の料理をあつらえて届ける出前の始まりは江戸時代中期といわれている。形態としては、細かい注文に応じるというより、大人数用の仕出しに近いサービスだったようだ。 当時は天秤棒で食材を売り歩いたり、いまでいう屋台のようなもので商売する人が多かった。移動式店舗が主流だった時代だから、家まで食べ物を届けてもらうことについても、それを特別なサービスと考える人も少なかっただろう。

移動式店舗で商売する流れが根付いていたのは、せいぜい昭和の中頃までだろうか。出前ではないが、僕が子供だった昭和30年代には豆腐売りが祖父の家の前まで来ていたし、行商のおばさんが定期的に魚の干物や貝などを“訪問販売”していたのをよく覚えている。なぜ覚えているかというと、豆腐売りのラッパの音を聞くと器を持って表に飛び出し「トーフイッチョウ!」と叫んで勝手に買っていたからである。代金はツケになり、あとでまとめて払っていたそうだ……。

出前の話だった。町中華の出前を考えるとき、その前身としてイメージしやすいのは、そば屋の出前である。麺類を扱い、汁をこぼさずに運ばねばならない課題でも共通している。出前界の大先輩にあたるだけではない。僕たちに馴染みの深い、バイクに搭載した出前機で食べ物を運ぶスタイルは、そば屋の出前を”近代化”するために発明されたものだったのだ。

そば屋の出前がどのように進化していったのか、詳しいことはわからない。明治・大正・昭和と時代が進む中で、会社で働く人が多くなり、<早い・安い・旨い>の3条件が揃い、仕事場まで届けてくれる便利な存在として人気が定着したのかもしれない。昭和に入る頃には、自転車を活用するようになり、せいろや丼を何段も重ねて肩に担ぎ、片手運転で走る光景が見られるようになった。古い写真を見ると、曲芸士みたいにタワー状に積んでいるものもある。

自転車に乗った蕎麦屋の出前持ち。蕎麦つゆや丼も大量に。
1935年(昭和10年)撮影  (毎日新聞社提供)


こんなことは素人にはできない。そう、出前の多いそば屋では出前専門のプロを雇っていたのである。彼らはそばを打つことも店内の接客もせず、配達だけを行う“外番”と呼ばれていた。大量のそばを積み、颯爽と自転車で町をゆく外番はそば屋の象徴的存在で、昭和30年頃までは「そば屋の配達コンクール」なるイベントまで開催されていたというから驚く。

そうは言っても、まだまだのんびりした時代。「蕎麦屋の出前」という言葉に象徴されるように、ゆったりペースでやっていたんだろうと想像するが、引退した元そば屋の店主に話を聞くと、修行時代(昭和40年前後)は店の仕事をなかなかやらせてもらえないほど出前に追われていたという。素人だからそうたくさんは運べず、ピストン輸送のように店と出前先を行き来していた。やがて独立し、日本そばの店「大勝庵」を経営。引退後は私設の鉄道資料館「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」を運営するようになるが、そのきっかけは、出前の帰りに一服しながら眺めていた電車が好きになり、廃線になることが決定した東急玉川線(通称玉電)の写真を撮り始めたことだったそうだ。

オリンピックの聖火を出前機が運んだ!

道行く人たちの目を楽しませた出前職人が消えてしまった理由には諸説あるが、僕が有力だと思うのは”外圧”説。戦後しばらく経った頃、外国人観光客が銀座を歩いているとき、車の間をすり抜けるように走る出前の自転車を見てびっくりし、その危険性を訴えたために警察からの指導が入ったというものだ。

ではどうすればいいのか。要因が荷物を担いだ状態で行う片手運転にあるのは明白。だったら、そばを肩にかつがず運ぶ方法を編み出せばいいのでは。この発想から生まれたのが出前機だった。考案者は都内のそば屋店主らしい。自店の営業用に創意工夫して作り出したのだろうが、これがとんでもなく優秀な運搬機だったため、目をつけた業者が昭和30年代前半に商品化したとされる。

ただしデビュー後すぐに売れたわけではない。曲芸師ばりの腕前を競っていた外番にとって、誰でも気軽に配達ができる出前機の登場は失業につながりかねないもの。彼らを気遣い、導入に二の足を踏む店主も多かった。

しかし、警察の指導とあれば仕方がない。それまで目こぼしされていた自転車の片手運転が厳しくチェックされれば出前ができなくなる。

もうひとつ、忘れてはならないのが昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックだろう。オリンピックでは聖火をランナーがリレーで繋いでメインスタジアムまで運ぶ習わしだが、途中で消えてしまったら困る。そこで、予備の聖火を出前機で運んだのだ。

出前機は期待に応え、火を絶やさず運搬することに成功。8年後に開催された札幌オリンピックで再び採用され、その実力を証明した。ホンダのスーパーカブを筆頭に、バイクメーカー各社も出前に向いたバイクを発売し、一気に全国へと普及していく。

そば屋の店主が出前のために考案した出前機。その恩恵に目一杯あずかったのが、ぐんぐん頭角を現してきた町中華である。そば屋が独占してきた<早い・安い・旨い>の3条件は、戦後の食文化である町中華の得意とするところでもあったのだ。

それにしても、どうして出前機は汁をこぼさず運べるのか。町中華に通った経験を持つ人なら一度は抱く素朴な疑問だが、わざわざ店の人に尋ねることなどめったにない。出前機というくらいだから、なにかうまい方法を編み出して、その部分をクリアしているに決まっているからだ。

僕もわざわざ聞いたことはなかったが、出前機で走り回るバイクが減ってきたことでもあるし、出前機の構造を知りたい気持ちが沸き上がってきた。そこで<出前機 メーカー>で検索をかけてみると、ひとつのメーカーにしかヒットしないではないか。少なくとも数社で販売していると想像していたのだけれど、現役バリバリでやっているところは1社だけのようだ。

昭和の大発明がピンチを迎えている。そういうことなのか。とにかく話を聞かなくては……。

最後の砦、マルシン出前機

2018年現在、唯一の出前機製造会社となったメーカーは、東京都府中市にある大東京綜合卸売りセンター内にある㈱マルシン。いまでは業務用調理器具を幅広く扱っているが、もともとは出前機を製造販売するため設立された。創業は昭和40年(1965年)というから東京オリンピック直後。初代が出前機の将来性を感じ取り、業界変革の最中に乗り込んでいったそうだ。

商品名に<マルシン出前機>と自社の名を掲げて勝負に出た同社は、たちまちトップメーカーへと躍進。前出の札幌オリンピックで使われた出前機はマルシン製品だった。他社との差別化を図るべく、改良を重ねていった技術力の賜物……というわけでもなく、求められるままにやってきた結果だと2代目の森谷庸一代表は言う。

「初期からデザインも構造もほとんど変わってません。出前機は最初から完成度が高かったということでしょうね」

構造上の優れた点はどこなのか。いくら慎重に運転したとしても、道路にはカーブもあれば信号もある。路面の微妙な凹みもいたるところに出没する。それなのに、前後左右、上下の揺れにもきっちり耐えて、ラーメンは無事に到着する。ラップをかけているからでは説明のつかないこの能力はどこから来るのか?

「コンビニでおでんを買ったと考えてみてください」
おでんをいくつか買って持ち帰るところを思い浮かべてみた。

「手に持って運ぶと汁がこぼれやすいですよね。でも、ビニール袋に入れて運ぶとこぼれにくい。それと同じ原理なんです」
両手で抱えるように器を持ってそっと歩いても、おでんの汁は波打つ。が、ビニール袋に入れ、袋の紐の部分を持って歩くと、振り子が左右に揺れても上下動しないのと同じように、器を水平に保ちやすくなる、ということだ。え、そんなにカンタンなことなの?

「カーブすれば車体は斜めになりますが、出前機の荷台は常に水平なんです。どうぞ触ってみてください」
いかつく見える出前機を見て確認すると、固定されているのは上部2カ所だけである。揺れ過ぎ対策として、ショック吸収用のスプリングが装着されて入るものの、基本構造は至ってシンプルなのだ。荷台を横から押してみると、フワッと抵抗なく左右に揺れた。なるほど、出前機はラーメンの入った大きなビニール袋をぶら下げているようなもの。前後の揺れに対してもするする動く工夫が施され、徹底して揺れに逆らわない仕組みだ。

上下の揺れを受け持つのは大小の空気バネ3基。衝撃を感じると同時に自ら軽く伸び縮みし、ショックを防ぐ。バイクのエア・サスペンションより先に開発されたという説もある優れた構造になっている。すごい。まるで、人数をかけずに鉄壁のディフェンスをするサッカーチームではないか。これは便利。売れるに決まっている。

マルシン出前機。町中華で使われる代表的機種は、横5段、
10個入り出前箱が乗せられる「3型片付出前機」


「私は出前機の一番いい時代を知らないんですけど、よく売れたようですよ。全盛期は月産300台。ただ、ピークは短かったんです。昭和50年代に入ると、もう全国に行き渡っちゃった。しかも、シンプルで頑丈だから壊れにくい。買い替え需要がそんなにないんです」

森谷代表、苦笑い。マルシンでは事業の中心を出前機以外のものに切り替えることでサバイバルしつつ、メーカーの責任として、交換部品を切らさないように心がけてきたそうだ。それが報われたのが2000年代初頭。そば屋や町中華に代わって出前界の覇権を握った宅配ピザ、宅配寿司からオーダーが入ってきたのだ。

「いやもう、てんてこ舞いの日々でした。宅配寿司は出前機じゃないとシャリが転がってしまい、うまく運べないようなんですよ」
屋根付きバイクによるピザやケーキのケータリングにも対応しているが、出前機の種類は基本的に5つ。町中華でメインに使われるのは、バイクのサイドに取り付ける片付出前機、左右に取り付ける両付出前機、荷台の上に取り付ける後付出前機だが、構造はすべて一緒だ。

第2のウェーブもいまでは落ち着き、壊れにくいために新規オーダーが次々にはいるというほどではない。でも、他社が撤退していく中で辛抱強く商売しているうちに、マルシンは出前機最後の砦になってしまった。ラーメンのように細く長く作り続け、これからも町中華を支えていって欲しい。

そのためにできることは、なんといっても出前を頼むことである。町中華は好きだけど出前を頼んだことがないという人も多いはずだ。方法は難しくない。出前機付きバイクや自転車が店頭に置かれている最寄りの店をチェックし、出前用メニューをもらえばいいのだ。たいていは2人前から応じてくれるので、友だちを呼んで出前体験することを勧める。

届くまでに要する時間からは、注文を受けてからバイクで運ばれてくるまでの流れを想像する楽しさがもたらされる。麺の伸び具合は、それでもなぜ人びとは出前を愛してきたか想像するチャンスと捉えよう。餃子が多少ふやけているのも愛嬌。器に店名や電話番号が入っているのは盗難防止の意味合いもあるとか、レンゲやスプーンにそれがないのは消耗品として考えられているのだなとか、町中華についての新たな発見がもたらされるに違いない。

最後に、食べ終えたら器は軽く洗って返すのをお忘れなく!

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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