夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華の黄金期~
ワリバシは踊り、鍋は炎に包まれた
メニュー研究:「定番打線」と「三種の神器」が
奇跡の合体(後編1)

もはや中華ですらない

化調の導入で味の全国統一がなされてからは、その時々の流行に左右されることなく、定番メニューを中心にやってきた町中華。牛丼がノシてきても、つけ麺がブームになろうとも、新メニューに加えた店は一部に限られ、新たな定番にはなっていない。このことから、町中華業界に保守的なイメージを持たれる方もいそうだが、それは誤解だ。町中華は本来、こだわりがなさすぎるほど柔軟で、頑固さとは真逆のいい加減さを持っているので、これはいいとなれば積極的に取り込もうとする傾向がある。

ではなぜ、牛丼やつけ麺は定着しなかったのか。理由はいくつか考えられる。
牛丼については第一に牛肉の壁だろう。町中華では素材をいろんな料理で使いまわすことで、ロスを最小限に抑えながら多彩なメニューを提供してきた。しかし、牛肉を使うメニューは少ない。代表的なのは青椒肉絲だろうが、置いてある店はさほど多くない。町中華にとって牛丼は素材の使い回しが難しいメニューなのである。第二に値段。専門店チェーン並の安さでは実現不可能だろうし、一杯700円とかで出して売れるとも思えない。チェーン店の味に慣れた牛丼好きは、町中華で牛丼を頼むくらいならチェーン店に行くだろう。

一方、町中華にルーツを持つつけ麺は、材料面、値段面をクリアできる。しかし、冷やし中華という季節商品があるせいか、いまひとつ普及しきれないうちに専門店での人気が爆発してしまった。専門店は温かい麺でも提供するなど営業努力を重ね、年間を通して食べられるメニューに育て上げているが、その波についていけなかったのだ。

……とまあ、分析めいたことをするのは簡単だが、レギュラーメンバーの固定化や、牛丼・つけ麺ブームへの乗り遅れからは、かつての貪欲さが衰えたことへの寂しさを感じてしまう。町中華はその昔、客のニーズを感じ取れば躊躇なくメニューに取り入れる、ヤンチャな食べ物屋だったのだから。

その節操のなさは、いまのメニューにも色濃く残っている。代表的なのは町中華探検隊が“三種の神器”と呼んでいる、カツ丼・カレー・オムライスだ。

中華を名乗っているのに、何食わぬ顔で和食や洋食をメニューに溶け込ませているのである。どこから見たって非中華だが、そんなことを気にする町中華ではない。中華メニューと別扱いせず堂々と壁に張り出す。矛盾などまったく感じていないようだ。僕は一時期そのことを疑問に思って、「なぜ、これがメニューに入ってるんですか」と店主に尋ねたものだが、まともな回答が得られたことはない。一様にきょとんとして、こう答えるのである。
「なぜと訊かれても、さあ、昔からやってるからねえ」

炒飯と天津丼のあいだにカレーライス、カツカレー、オムライスが並ぶ


ジャンルとしての整合性などという細かいことを考えない性質は、メニューに混沌を生み出した。カツ丼があるから、カレーやオムライスがあるから、町中華は全体的になんだかヘンなバランスの食べ物屋になっているのだと思う。

その存在を気にしないのは客も同じだ。学生時代から町中華の世話になってきた僕自身、あたり前のようにこれらを注文してきた。カツ丼・カレー・オムライスをやっている店の多さに気づいたのは、町中華探検隊を結成していろんな店へ行くようになってからなのである。

ちっぽけなこだわりより今日の売り上げ

“三種の神器”は、歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだとされる、八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことで、一般的にはそこから派生した“揃っていれば理想的”という意味で使われている。昭和30年前後からの高度成長期には、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビが“三種の神器”と言われ、昭和40年代になるとカラーテレビ、クーラー、自動車が“新・三種の神器”とされてきた。町中華の場合、とくに開業50年を超えるような古い店でカツ丼・カレー・オムライスの非中華トリオが揃っている傾向があったため、一時は正統派町中華の条件として“三種の神器”を挙げていたほどだ。チェックを重ねるうちに、揃っていない店にも、これぞ町中華と言いたくなる名店がたくさんあることがわかったため、条件からは外したけれど、僕はいまだにメニューを眺める際、この3つをつい探してしまう。

あやふやな記憶に基づく店主たちの証言ではあるが、そこには中華であろうとなかろうと、客が望むものであれば積極的に出していこうという貪欲な姿勢が感じ取れる。ちっぽけなこだわりより今日の売上げ重視で商売に励んだ結果、客の支持を得たこれらのメニューが定番化していったのだろう。黎明期における町中華のライバルは大衆食堂やそば屋だったはずで、飲食業界の先輩格にあたる彼らに追いつき追い越すためには、「なんでもあり」でやっていくしかなかったのだと思う。

僕はこうした自由さ、いい加減さが町中華の魅力の一つだと考えている。町中華は戦前から営業していた中華料理店をベースにはしているが、満州帰りの人たちが持ち込んだ本場の味や、戦後の一旗揚げようと参入してきた人びとの工夫によって独自の進化を遂げた食のジャンル“日式中華”。ラーメンの出汁に煮干しを使い、炒飯にはカマボコやナルトを使うように、和食の伝統がそこかしこに見受けられる。

だとすると、どこかの主人がこう考えたとしても不思議じゃない。
「カツ丼もやっちゃおうか。お客さん、好きそうだ」

あるいは、中華以外の料理人だった人が、手軽に独立できそうな業態として町中華を選ぶケースもあっただろう。洋食屋で修行した店主が、メニューを考えているときに思うのだ。
「麺類、飯類、単品、あと洋食の部も作っとくか」

とにかく使えるものはなんでも使って、安くてボリューム満点のパワフルな食事を提供するのである。ゴリゴリの中華じゃなかったから日本人に受けたし、今日の売上至上主義だったおかげでヘンテコな形に進化した今がある。

カツ丼、オムライスが鎮座しているショーケースには「ソース焼きそば」も


どこかの店でカツ丼が大当たりしたら、他の町中華も取り入れる。人気が出そうなものはとりあえずやってみて、儲からなければやめればいい。そういうメニューは山ほどあったに違いない。その結果、もっとも広く受け入れられたのが“三種の神器”だったのだろう。

それでも、どうしてカツ丼・カレー・オムライスだったのかという謎は残る。オムレツやチキンライスはどこ行った。ハヤシライスではダメだったのか。親子丼や玉子丼がメジャーになりきれなかった理由はなんだろう。

僕の考えでは、それらの類似メニューは“吸収合併”されてしまったのだ。非中華メニューもアリとはいえ、根幹が中華である以上はやみくもに増やせない。今日は中華の気分じゃない客、あるいは女性や子ども客に対する受け皿となって、他店に客が流れるのを少しでも食い止めるのが主な役割とすれば、必要最小限のもので良かった。

そうして、激しいサバイバル合戦の末に代表選手が固まっていったのだ。丼部門からカツ丼、家庭料理部門はカレー、そして洋食部門がオムライスである。
ということで、次回は各代表選手の横顔を紹介していこう。彼らはなぜ勝ち残り、非中華メニューでありながら、町中華において独特のポジションを獲得するにいたったのか。そして現状はどうなっているのか。

(後編2につづく)

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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