夕陽に赤い町中華

北尾トロ



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町中華の黄金期~
ワリバシは踊り、鍋は炎に包まれた
メニュー研究:「定番打線」と「三種の神器」が
奇跡の合体(後編2)

パワーの象徴としてのカツ丼

カツ丼の魅力について考えるには、そば屋を思い浮かべればいい。我々がそば屋でカツ丼を頼む一番の理由は、ガツンとした食べごたえだ。そばだけでは淡白すぎる、腹持ちが良くない、などと考えを巡らせ丼もの最強のパワーを誇るカツ丼をメニューから選び出す。

町中華でも事情は同じだ。ガツンと行きたいのである。さらに欲を言えば肉を食べたいのである。中華にはパーコー麺(飯)というメニューもあるが、比較検討すれば、見た目の迫力、おなじみ感、一気呵成に食べ進められる点においてカツ丼に一日の長がある。また、親子丼や玉子丼との比較でも、強さの点でカツ丼に軍配が上がる。ということで和テイストのガツン食を求める腹ペコ野郎はこぞってカツ丼を選ぶのだ。

どーん! 強烈な佇まいで登場


そんなとき、中華店なのになぜ和食、などとは考えない。町中華慣れしたオヤジにとってカツ丼はあって当然のメニュー。あるから頼む、文句あるかって感じである。

では、一人暮らしを始めたばかりのような学生はどうなんだという話になるが、これも昭和の時代には問題なかった。中華の店におずおず入り、そこにカツ丼を発見したときの気持ちはこうだった。
「お、カツ丼がある。肉だ肉だ。バイト代も入ったことだし、今日は贅沢してみるか」

思わず浮かれてしまうのである。僕の町中華歴は学生時代に高円寺の「中華大陸」(現在は閉店)に通ったことから始まるが、カツ丼しか食べた記憶がない。1980年当時、300円でカツ丼が食べられる店はそうそうなかったのだ。味はそんなにおいしくもなく、分厚い衣でボリュームを出しているため尋常ではない胃もたれに襲われる。そのため食べ終えた直後は後悔の念にかられるのが常だったが、しばらくすると無性に食べたくなってまた行ってしまうのだった。親子丼や玉子丼はなかったと思う。あったとしても頼むことはなかっただろう。
明らかにパワー不足だからだ。肉というより衣の有無が決定的なのかもしれないが……。

いまどきの学生は肉ごときで浮かれたりしないのかもしれないが、昭和の貧乏学生にとって、肉をたらふく食べるのは贅沢の極みであり、カツ丼はごちそうの部類だった。町中華に安価なカツ丼があったら気分はワクワクし、何度か繰り返すうちには町中華はカツ丼が安価で食べられる店というすり込みが完了してしまう。そうなれば感覚的にはオヤジ客と一緒だ。

カツ丼が食べたいならそば屋に行けばいい? そこは微妙に違うのである。そば屋のカツ丼は品があるが、町中華のカツ丼は野蛮で、中華メニューに合わせているから盛りも良い。それに、客層が違う。町中華は男だらけで、1980年当時は年齢層も若かった。店の人達も気さくで、滞在時間30分程度であっても、寂しさを紛らわせられる気がしていた。

ごちそう感と野蛮さを兼ね備え、高度成長期には和食でありながら町中華の人気メニューにのしあがったカツ丼だったが、ただひとつ残念だったのは、ラーメンなどと組み合わせられるような器用さに欠けたことだろう。あくまでも和食単品メニューのナンバーワンなのだ。

いまどき、肉を安く食べたければ選択肢はたくさんある。しかも、牛丼などはカツ丼の半額で食べられる。肉=ごちそう、の意識も薄れ、 強さを象徴するものは、辛さやデカ盛りに移っている今、カツ丼を扱う店は少しずつ減っていくかもしれない。でも、どうか踏ん張って欲しい。壁から名前が消えてしまうことは想像したくないのである。町中華という、なんでもアリの昭和の食文化を象徴する和食メニューとして、最後まで共にあり続けてくれること。それが僕の願いだ。

カレーの万能感とオムライスの色気

カレーは明治時代にイギリスから日本に伝わり、大正末期には早くも大阪ハウス食品がカレールゥを発売。その後も着々と商品開発が進み、昭和20年にオリエンタルが粉末状の「オリエンタル即席カレー」を発売。そして昭和29年、SB食品が固形のカレールゥを発売したことで人気が沸騰。昭和30年代に入ると、一気に家庭料理として普及していった。もともとはインドの料理だったが、日本人好みにアレンジされ、いまではラーメンと並び、国民食とまで言われるほどになっている。

昭和30年代は、町中華が黎明期から成長を重ね、店舗数をぐんぐん伸ばす時期にピタリと重なる。各店舗が常連客の取り込みに必死だったこともあり、人気料理をすかさず提供したい店にとって、老若男女問わず人気の高いカレーライスは絶好の狙い目だったはずだ。

都合の良いことに、カレーライスは町中華が求めるパンチ力を十分に備えていた。どんなスパイスを使おうと、カレーはどこまでもカレーなのだ。その強さは味噌など物ともせず、豚汁にカレー粉を加えれば、それはもうカレーなのである。あのキムチですらカレーにはかなわない。しかも、味噌やキムチの風味もしっかり活かすときている。

そば・うどん業界も動いた。ダシ汁が見事にカレーに合い、その味は「そば屋のカレー」として定着。カレーうどんなどの新商品にも結びつく。町中華も負けちゃいない。ラーメンスープを加えたカレーライスは客から何の抵抗もなく受け入れられ、めでたくメニュー化を果たした。スープを投入したことで、そば屋同様、独自の味に仕立てたのである。おかげで、カレー専門店がたくさんできても競合することなく、真似されることもなかったのだ。

カレーは器用さも持ち合わせる。強烈すぎるがゆえに単独メニューとしてしか機能しないカツ丼とは異なり、セットメニューとして活躍できたのだ(ラーメン+ミニカレーなど)。

セットメニューにも使えるカレーライス。ラーメンとの組み合わせは破壊力抜群だ


さらに他の食べ物にはないメリットがある。カレーが大嫌いな人がほとんどいないことだ。何人かのグループで町中華を訪れると、全員が中華気分ではないことがある。といってカツ丼は重いし、とくに女性は丼に消極的だったりする。そんなとき、この決め台詞が炸裂する。
「あ、カレーがいいかも」

こうした守備範囲の広さにおいて、もしかしたらカレーはラーメン以上の存在かもしれない。


洋食屋で働いた経験を持つ店主が、深く考えずに始めたのが町中華のオムライスだろう。カレーと同時期にはすでにあったと思われるが、守備範囲が広いわけではない。オムライスは家庭でひんぱんに作るものではないし、上手に作るには技術が必要。外食メニューとして安定した人気を誇るメニューなのだ。読者は、チキンライスを卵で巻いた姿から子どもや女性客狙いの商品だと考えるかもしれない。オムライス好きな僕も、なんとなくそんなふうに思っていたが、町中華を巡るうちに、間違いだと気がついた。

オムライスは“三種の神器”でもっともパンチ力に欠けるメニュー。味付けは町中華全体の中でも優しい部類に入り、強さを求める若者にはそんなに人気が高くない。高齢者にはそれほど馴染み深い味ではなく、似合うのは淡白な味のタンメンなどだ。女性と子どもはもともと数が少ない。消去法で考えると、調理にも手間がかかるというのに、洋食経験のない店主までもがメニューに取り入れようとする理由はオヤジが結構頼むからとしか考えられないのだ。

まさかと思ったが、観察を始めると40代~50代の一人客にオムライス派が多いではないか。おいしそうに町中華のオムライスを頬張るのは、断然中年オヤジなのである。

僕は最初、その原動力は懐かしさかなと思った。レストランでは頼むのが照れくさいけれど、町中華なら躊躇せず、子供の頃に好きだったオムライスを注文できる。そういうことかと思った。

でも、あるとき気づいた。オムライスは町中華で唯一と言っていい、女性的な雰囲気があるメニューなのだ。だからこそ、パワフルな食べ物でもないのに、非中華メニューとして長年愛されてきたのではないか。

何それ、と怪訝な顔をせず、ちょっと思い浮かべてください。町中華にあるのは最近流行のふわとろ型ではなく、チキンライスに卵を巻きつけた昔ながらのオムライス。全体的に丸っこく、柔らかく、ホクホクと温かい食べ物だ。うっすらと湯気が立ち上り、いい香りが漂っている。これに性別をつけるとしたら誰だって女性だと答えるのでは。

まあ、そんなことをする必要はどこにもないんだけどね。客は出てきたらパクパク食べるだけだ。でも、いったん女性に見えてしまうと、オヤジたちがつい頼んでしまうことにも、食べている表情が幸せそうであることにも説明がつく感じがして、僕は一時期、町中華へ行くたびにオムライスを食べていた。

すると、どこで食べても同じような味だと思っていたオムライスにも、店ごとの特徴があることがわかってきたのだ。理想的なオムライスは、肌(巻きつける卵)にハリとツヤがあり、一切のたるみがない。そこにケチャップという口紅が塗られた状態でテーブルに運ばれてくる。しかし、完成度の高い店ばかりではない。肌荒れ(卵の破れ)、厚化粧(ケチャップ多すぎ)、口紅のはみ出し(ケチャップこぼれ)など、形状がそれぞれ違うのだ。

僕が感動した店は、息子である店主が作ったオムライスを、母である女将さんが手で形を整え、グリンピースを乗せて提供されたものだ。チキンライスをくるんだ細身のボディにケチャップの明るい赤が映えている。そして、グリンピースはさながら少女の髪飾り。あれはスプーンを突き刺すことに罪悪感さえ感じたなあ……、考えすぎなんだよ!

少女の髪飾り付の清楚なオムライス


さて、メニュー研究前編ではメニューで打順を組み、後編ではカツ丼、カレーライス、オムライスという“三種の神器”について考えてきた。個性的な食べ物たちがぶつかり合い、麺・飯・単品でバランスを取り、非中華メニューまで取り込んだことで、僕たちがイメージする町中華らしさが醸し出され、今日まで熟成されてきたのだ。取り上げなかったメニューにも酢豚やワンタンメンなど根強いファンのついているものが多く、まさに多士済済である。

今度町中華に行ったら、壁に張り出されたメニューをゆっくり眺めてみて欲しい。たとえば、麺類のトップは通常ラーメンなのに、タンメンが先頭に来ている店がある。その店がタンメンに自信を持っている証拠だ。一方やけにプッシュされているセットメニューは、人気があるというより店が売りたいメニューである可能性が高い。

町中華の店主はぶっきらぼうで寡黙なイメージが強い。しかし、そういう店に限って壁は雄弁だ。注文品が運ばれてくるまでの数分間、壁をニラミながら、どのようにしてメニューが固まっていったのかに思いを馳せるのは、僕にとって町中華探検の楽しみの一つになっている。

北尾トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また移住した長野県松本市で狩猟免許を取得。猟師としても活動中。著書に『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『欠歯生活』(文藝春秋)、『恋の法廷式』(朝日文庫)、『いきどまり鉄道の旅』(河出文庫)など多数。共著に『町中華とはなんだ』(立東舎)などがある。最新刊は『猟師になりたい!②』(角川文庫)。



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